習慣新書

新書を片っ端から紹介していくブログです。1年間に200~300冊程度紹介するのを目標にしています。

対中強硬姿勢こそが平和への道。中国の戦略分析には必読の書。 『中国4.0』(文春新書)エドワード・ルトワック

 中国という困った隣人は一体何を考えて行動しているのだろう。それを分析した元シンクタンク上級顧問の書である。
 ルトワック氏によると20世紀末から21世紀初頭にかけて、中国は世界の市場に平和的な形で参入した。氏はこの戦略を「中国1.0」(チュウゴクではなくチャイナと読みます)と呼ぶ。そして、それは極めて優れた戦略であり成功するかに見えた。
ところが、2009年にリーマンショックが起き、西側諸国のダメージを見てとった中国は、対外強硬路線に国家戦略を切り替える(これが「中国2.0」だ)。その直接的理由はゴールドマンサックスが予想した「今後(2009年)10年で中国の経済規模は米国を抜く」という予測だった。ゴールドマンサックスはつまるところ営業マンであり、彼らの予測は投資商品を売るための予測に過ぎない。手慣れた投資家なら話半分に聞くところを初心な中国共産党指導者は真に受けてしまった。そして、あと10年で超大国になるなら超大国にふさわしい振る舞いをしなければならにと考え、彼らの伝統的思考=中華思想に基づいて対外強硬路線に変更したのである。
だが、中国の豹変により、それまで中国に友好的だった国々も態度を硬化させていく。今や太平洋は反中同盟で覆われている(チャイナマネーによってふらつく同盟国はあるが)。そこで、最近になった(2014年後半以降か?)中国は全方位を敵に回すのではなく、戦う姿勢を見せるところとは衝突をさけ、大人しくしている国に対してだけ侵略的に振る舞うという選択的攻撃戦略に切り替えた。筆者はそれを「中国3.0」と呼ぶ。
だが、それでも中国の苦境は変わらないだろう。中国が安定的に発展したいのならば、とりあえず南シナ海への進出を諦め、次の国家戦略「中国4.0」へバージョンアップすべきと著者は主張する。
 ちなみに本書執筆段階=今年2月では、筆者には日本は戦う国の側に見えたそうだ。軍艦が領海に入っても何もしない現在の日本を見てルトワック氏は同じ評価を与えるだろうか。いずれにしても、現在、中国は「中国3.0」という選択的攻撃のスタンスを取っている。氏の見立てが正しければ、強硬姿勢こそが日本の平和に繋がるという帰結になるだろう。

科学は真理に近づけるが真理に到達できない 『99.9%は仮説』(光文社新書)竹内薫著

 科学において通説は常にくつがえる可能性を持っている。それゆえ、今日真実だと思っていたものが、明日は真っ赤なウソになる可能性があるし、その逆だってありうる。本書では遠慮がちに99.9%と書いているが、それは限りなく100%に近い。もちろん100%と書いてしまうと「科学における学説は全て仮説である」という理論のくつがえる可能性を否定していることになる。それゆえの99.9%なのだ。
 本書では、ある時代に真理だと考えられていた学説がいかにして覆っていったかを具体例を挙げながら丁寧に説明している。科学的な知識がなくても十分に読めるはずだ。
私は、冒頭に紹介される「飛行機が何故飛ぶかが分かっていない」という例に驚かされた。まさに著者の思う壺である。しかも、竹内氏が「子供だましの説明」と紹介している説を、本書を読むまで信じていたのである。
いや、確か中学の理科か高校の物理で以下のように習ったと思う。

飛行機の羽は上部が曲がっていて下部は直線である。従って羽の後で空気が合流するまでに上部の方が早いスピードで空気が動く。早いスピードで空気が動くとそちら(上部)の気圧が低くなり揚力が生まれる。

ところが、これが真っ赤なウソで、羽に当って分かれた空気は羽の後部で合流しないそうだ。言われてみれば、分かれた空気が合流する必要などない。ただし、合流はしないが、どういう訳か上部の方が早く動くらしい。だから羽に揚力が起きるのは正しい。でも、その理由は今のところ不明(有力説はある)とのこと。

ますます飛行機に乗るのがいやになりそうな話だ。その他、一度否定されたアインシュタインの「宇宙定数」が、現代によみがえった話も興味深い。これも、私は宇宙の始まりについてはビッグバン仮説までしか知らなかったのだが、現代では宇宙は加速度的に膨張している事が確かめられているので、ビッグバン仮説だけでは説明できないとの事。

とにかく、飲んだ席での話すネタにするもよし、一人ほくそ笑むもよし。興味深いネタにあふれている。「科学と他の思想を分かつのは『反証可能性』である」というカール・ポパーの珠玉の言葉が書かれているのも、個人的には嬉しかった。

その時点の学説を妄信する愚かさと、それでも真理に近づこうとする科学者達への尊敬を同時に感じられる良書である。

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何ともお買い得。美術通でなくても美術館に行きたくなる本 『印象派で「近代」を読む』(NHK出版新書)中野京子

 何ともお買い得な本である。オールカラーの印象派の名画が見開きで26作品掲載され、さらに40点以上も小さな枠で印象派やそれ以外の絵が載っている。さほど絵に詳しくなくても、どの絵もどこかで見た事のあるものばかりだ。
 本書は単なる名画の解説ではなく、なにゆえ印象派が「近代」とともに登場したかを明確に語っている。近代社会は資本主義と国民国家を特徴とする。そこでの主役は、アンシャンレジーム時代の王侯貴族と異なり、金はあっても古典的教養に劣るブルジョアジーだ。彼らには、当時一流とされていた「サロン」に飾られる絵画を鑑賞するだけの素養がない。
例えば、と言って本書ではジェロームの『ピグマリオンとガラテア』を絵とともに紹介する。これは、「ピグマリオン王は自分が作った彫刻に恋してしまい、ヴィーナスに祈ってその像を人間に変えてもらった」というギリシア神話の知識があって初めて完璧な裸婦の絵に感動が生まれる。そうなると、画家は如何に裸婦像を陶器のごとくピカピカに描くかに心血を注ぐし、鑑賞する方も劣情とは別の感情を移入できる。だが、その前提知識のない者には磨き上げた女性に抱き着くオヤジの絵にしか見えないだろう。
ところが、印象派の絵はそのような西洋古典の教養を鑑賞者に求めない。絵から光を感じる事のできる人ならば、誰でも印象派、特に初期の印象派の作品を好きになれる。これこそが、新しいパトロンであるブルジョアジーに印象派が受けた理由である。ヨーロッパでさえそうなのだから、新興国アメリカの金持ち達にはなおさらありがたかったに違いない。
そのほか、技術の進歩によって屋外で絵を描けるようになった事例や、蒸気機関車が今とは違って最新技術として描かれていたこと、写真の登場により絵に模写以上の芸術性が要求されるようになったこと等、興味深い話がてんこ盛りだ。
これが1000円(+消費税)で買えるのだから新書はたまらない。

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自己啓発本を買うのが恥ずかしい人に 『人間を磨く』 田坂広志 光文社新書 

自己啓発本を買うのは中々勇気がいるものだ。
どこの職場にも仕事のできない「自己啓発本オタク」がいるので、彼らと同類と思われたくない。そもそもインテリが読む本ではない。何か悩んでいるみたいに思われそう等々。手に取れない理由は色々あると思う。
かく言う私も、若い頃は所謂「自己啓発本」は内容が薄い気がして、ほとんど買うことがなかった。明日をも知れぬ世の中で常に自己啓発を心掛けるのは良いことだが、本当に必要なのは資格取得や語学やPC操作などの具体的なスキルアップではないかと思っていた。だが、近年、そういった目に見えるスキル=認知能力よりも、忍耐力やコミュニケーション能力、論理的思考力といった目に見えないスキル=非認知能力の方が、人生を生き抜くのにはるかに重要だという主張が強くなっている。
そして、大人になってから非認知能力を向上させるためには、メタ認知能力=「自分の認知」を認知する力を養うのが不可欠であり、そのために最適なのが巷にあふれる自己啓発本だろう。
 とは言え「自己啓発本」を買うのは少々気が引けるという方にお勧めするのが本書である。自己啓発本には、そもそも著者の経歴が怪しい本も少なくないが、その点内閣官房参与で、ダボス会議のメンバーでもある田坂氏ならば心配ない。その上、新書というのもいい。かさばらないし、値段が安いし(本書は740円+消費税)、カバーをかけてもらえば自己啓発本に見えない。
内容はもちろん説教臭いが、「上司や目上の方に『生意気』と思われるのは、その者が未熟な証拠である」という著者の見解には感嘆した。恥ずかしながら、私は、本書を読むまで「有能な者を『生意気』と感じるのは上司や目上の方が未熟な証拠」と思っていた。その考えは今も変わらないし、それゆえこれからも生意気な若者を出来る限り可愛がろうと思っている。だが、真逆の考え方もあったのだ。あと数年で還暦の私を「生意気」と感じてくださる方も減ってしまったが、それでも「気をつけよう」と思った。

郊外に住む人の心臓に悪い本  『東京どこに住む?』朝日新書 速水健朗

戦後第3回目の人口東京一極集中が始まっている。第1回が高度成長期だ。この時期の人口東京一極集中は、日本社会にとって好ましい高度成長だった。重化学工業を発達させ経済大国へと発展するためには、工業に携わる都市住民の増加は不可欠である。第2回目はバブル期である。都会の地価と喧騒に引き寄せられるように人々は東京を目指した。そして、現在はアベノミクスによる景気回復によって3回目の東京一極集中が起きている。筆者の見立てによれば不景気の時には地方から東京に行くパワーが奪われるらしい。
 だが、今次の東京一極集中は人口減少時代における一極集中だ。したがって前2回とは趣が異なる。その違いこそが本書のメインテーマと言える、東京内における過疎と集中の同時進行である。
では、集中しているのはどこか?ズバリ都心だ。それも23区といった生易しい都心ではない。それは本書が紹介する平成26年の人口増減率を見れば一目瞭然である。第1位千代田区5.1%、2位中央区3.9%、3位港区2.4%である。さらに特徴的なのは、これら都心区に続くのが、敬遠されがちだった「東」の区という点だ。4位墨田区、5位文京区がともに1.5%で6位が江東区の1.4%となる。反対にバブル期には人気だった東京の郊外、いわゆる多摩地区の一部はゴーストタウン化が始まっている。
この傾向は「住んでみたい街」にも出ており、ここ数年1位が定位置だった吉祥寺が恵比寿にその座を明け渡した。それだけではない。2位の吉祥寺に続く3位が麻布十番、4位表参道とやはり都心回帰が明確になっている。
本書は、日本人は一生のうちに4~5回しか引っ越しをせず、それは先進国の中では極めて少ない数字だと教えてくれる(アメリカは平均20回ほど引っ越すらしい)。しかも、近年、人の平均所得は社会階層だけでなく住む場所に大きく依存するという研究結果もあるらしい。
郊外に住む方や東京以外の地方に住む方の心をざわつかせる本ではあるが、ライフプランを設計するためには必読の書である。

メディアのアンフェアさを理解するのに最適の書 『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書) 潮匡人

この本は平和安全法案が成立する直前に書かれ、成立直後に出版された。

 それゆえ、デタラメな報道を繰り広げる潮氏の怒りがよく表れている。
 私は、他人を「気持ち悪い」と誹謗することを良しとはしないが、自称平和主義の護憲派に差別され続けてきた元自衛官ならそれも許されよう。

 昨年の夏は、頭の悪い若者達が大騒ぎし、それをTVメディアが取り上げて、「集団的自衛権」が認められれば、すぐにでも戦争が始まるかのごとき報道がなされていた。

 だが、集団的自衛権が問題になったのは安倍政権が誕生して以降ではない。

「政府見解としては、集団的自衛権は保持しているけれども、憲法上、それは行使できないということになっています。これを踏み越えることができるかどうかが一番の肝です。」「自衛隊をきっちりと憲法の中で位置づけなければなりません。」「いまだに、何か事が起こったときごとに、特別措置法という形で、泥縄式に対応しています」

 本書で紹介されているこれらの言葉は、すべて野田佳彦元総理の著書(『民主の敵』新潮新書)からの引用である。

 しかし、野田民主党政権の時にテレビや新聞が大騒ぎをした記憶はない。

 これひとつとっても、日本のメディアがいかにアンフェアかがよく解る。

 本書は、平和安全法制以外でもIS(自称「イスラム国」)に関する報道姿勢にも疑問を投げかける。
 彼らは純然たるテロリストであるにも関わらず、彼らがシャルリー・エブドを襲った際に、多くのメディアは、あたかも「喧嘩両成敗」的報道をした。

 これに対し、潮氏はハンナ・アーレントの
「自由が脅かされるときに闘いに参集することができない者ならば、そもそもどのような闘いにも集うことはできないだろう」
 という言葉を引用して批判する。

 シャルリー・エブドの記事は下品で不愉快だが、下品な言論誌だからといってテロにさらして良いという理屈はなりたたない。それなら、古い事件だが朝日新聞もそれにテロを仕掛けた赤報隊も「喧嘩両成敗」になってしまう。

 こういう当たり前の理屈や事実を積み重ね、この国の護憲派メディアには知性も品性もない事を立証する良書である。

「科学」と「信仰」と「神秘主義」、この深遠な関係に挑む  『ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡』(祥伝社新書)  三田 雅広

 無邪気に「科学的結論」を信じることが如何に愚かしいかについては枚挙に暇がない。
 例えば、精神医療の世界では1935年に「ロボトミー手術」という前頭葉の一部を切除する手術が当時の「科学」の最先端だった。この手術をご存知の方は、統合失調症の治療と思っているかも知れないが、当初は「うつ病」を治す画期的な手術として受け入れられたのである。その後、これが単なる人格破壊に過ぎない判り日本で行われなくなったのは、なんと40年後の1975年である。
 血友病患者へのエイズ蔓延も、当時の「科学」が引き起こした。「科学」概念をさらに広げれば、ナチスのユダヤ人虐殺を正当化したのも第一次世界大戦後の「社会ダーウィニズム」という「科学(少なくともこの論者はそう思っていた)」だし、20世紀を通じて最も多くの人々を殺戮した共産主義思想は、今でも「科学的社会主義」を自称している。
 本書は、この「科学」なるものが、カトリックが支配するヨーロッパから如何にして生まれたかを解き明かす書である。今でこそ「科学」の側の人達は神秘主義=オカルティズムを「反科学」の代表として取り扱うが、中性ヨーロッパではローマカトリックという「宗教」に対し、「科学」と「神秘主義」がスクラムを組んで対抗していた。
 カトリック世界では神父の言うことこそが真実だ。これに対して「聖書」に真実を求めたのがプロテスタントであり、秘密裏に行う思考、実験、自然観察により真実を解き明かそうとしたのがグノーシスという名の神秘主義者=科学者だったのである。彼らの究極的目標は「神が創った真実を解き明かす」ことであり、反カトリックにならざるを得ない。ダ・ヴィンチの偉業もニュートンの功績も、その文脈で再検証すると腑に落ちる。
 フィナボッチ数列や黄金比、ピタゴラスの定理など初歩的な数学の話も出てくるが、決して難解ではない。
 私の唯一の不満は、科学が宗教や神秘主義と決裂し、ついには思想界の頂点に君臨するまでを描いているが、その後の揺らぎを書いていない点だ。宇宙の法則を全て解き明かしたかに思えたニュートン物理学は、アインシュタインの登場により「真実」ではないことが判った。さらに今では「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」など一昔前のSF界、オカルト界の専門用語=概念が高校教科書に記載され、人類は宇宙法則をほとんど解明できていないと教える。
 そこを書かない著者は、私同様「科学万能時代」の古い人間なのだろう。