習慣新書

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家康が三河守(みかわのかみ)で信長が上総介(かずさのすけ)なのは何故? 『格差と序列の日本史』(新潮新書) 山本博文

山本氏は東京大学資料編纂所の教授である。おそらくは教育よりも圧倒的に研究を主体とする学者だと思われる。そして、如何にも学者らしく「格差」と「序列」を別物として考える。
 会社に社長、部長、課長、係長、主任、ヒラが存在するように、どんな組織にも序列は存在する。しかし、我々はそれを格差と感じずに生きてきた。それは、ほとんどの組織が努力や業績により昇進可能だからだ。もちろん、昇進がフェアとは限らないし、それに対する怒りを持つ人は多いだろうが、それは今の地位より高いポストに就けた証でもある。ところが近年、何年勤めても昇進の可能性のない「非常勤」というポストで一生を過ごす人が出てきた。山本氏はそれこそが「格差」であり、これは「序列」とは本質的に異なると主張する。
 この考え方を前提に日本史を古代からGHQ改革まで縦断し、古代がいかに格差に満ちていたか、家柄から実力の世になったとされる中世武士社会も家格による格差が厳然としてあった等々の事実を解き明かしていく。
 本書はテーマの性質上、次々と朝廷、鎌倉幕府、足利幕府、江戸幕府の役職名が出てくる。日本史で勉強した事を思い出して懐かしむ方もいると思うが、それでも読み通すには相当骨の折れる書物である。だが、例え読み通すのに挫折したとしても、歴史小説を読む際や、テレビの時代劇や大河ドラマを見る際に、一味違う見方を提供してくれるだろう。そういう意味では一家に一冊あって良い本だ。
 さて、表題の種明かしをしておこう。信長と家康の同盟は当初から最後まで信長優位の関係だった。ところが、格上の戦国大名である信長は上総介を名乗り、家康は三河守を名乗っていた。これは一見アンバランスに見える。しかし、日本の律令においては上総の国のトップ(かみ)は、親王がなると決まっていた。もちろん親王は名目上の守であって現地には赴かない。そこでこのような親王任国ではナンバーツーの介が事実上の長官だったのである。さすがの信長も一戦国大名時代に親王を名乗る訳にはいかなかったのだろう。本書を読めばいかに日本史において律令制が根深く影響を与えているかが理解できる。